療養費の取扱いについて [1]
 協同組合 兵庫県保険鍼灸師会について 療養費の取扱いについて[2]
U. 療養費の取扱いについて [1]

療養費の現状

  明治政府は西洋医術を導入し江戸時代の予防を基礎においていた東洋医術、漢方、鍼灸、按摩を廃止した。今の政府も同じく鍼灸按摩を見捨ており保険扱いでは戦後60年間抑え続けてきている。
しかしながらこの業の良さは世界中に広がりWHOも鍼治療のガイドライン、経穴の統一化など大きな動きとなっています。「今鍼灸マッサージ業に異変が起きている」と言われている。療養費請求2001〜2002年鍼灸が71億→95億円に伸びマッサージが125億→169億円に伸び医科30兆円、柔整2,800億円とはあまりに小額ではあるがここ数年で障害を取り除く取り組みが進み「一度火が付き動き出すとその広がり方は今後注目にあたいす」と言われている。

  療養費扱いの最も少なく立ちおくれた、困難な兵庫県。当会は療養費扱いを1999年より始め2000年に当会を立ち上げ兵庫県国保指導担当課とたび重なる交渉。大阪市と覚書協定の締結。兵庫県下各市町村保険者交渉。神戸社保、医療助成、兵庫県市町村職員共済組合、健保組合等と民法643条による団体受領委任扱いの道造りを進めてきました。兵庫県保険医協会との懇談、兵庫県医師会との面談、兵庫県民主医療機関連合会(民医連)、各公的医療機関を始め多くの医療機関と懇談し協力を得てきた。
2002年から2003年度の大量の不支給処分の撤回交渉も多くの保険者の協力を得て当会と兵庫県国保指導担当課、兵庫県国民健康保険団体連合審査会と兵庫県議員団立会いのもと3者交渉で不支給の取り消し。兵庫県国民健康保険団体連合会の20年前の審査基準の作り替え、国の通知基準に従い正し、マッサージの医科レセプトとの突合の撤回。不支給の審査請求による不支給取り消し。裁決勝利。保険者より不支給決定取り消し。おわびと支給を受ける等療養費扱いをすすめる当会の存亡をかけ全力を挙げ闘い切開いてきた。

療養費は未だ確立安定しているとはまったく言いがたい。絶えざる前進と闘いが療養費扱いを安定させる上で必要です。ゆるめたり止まったりすると即後退させられる。今なお新たな不支給が出される厳しい現実である。憲法第12条 『憲法が国民に保障する自由及び権利は国民の不断の努力によって、これを維持しなければならない、又国民はこれを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う』とあり国民や有資格者が自由、権利を奪われたり抑えられたりした時は取り戻すまで闘い続ける努力をし勝ちとって守り保持せよと国民に義務付けている。国民の期待は大きい。

自費の世界では誰もが広くあまねく受療することは出来ない「保険は誰でもどこでもいつでも安心して病気の治療を受けられる」の大きな道を建設しなければなりません。そのことが国民の期待に応え医療と健康増進に寄与し業を発展させ学術向上、社会に貢献し高くない今の地位を押し上げ未来へ次の千年への発展の礎とする為に。

医療保険の歴史

1883年(明治16年)世界で始めてドイツのビスマルクのもとで疾病保険法が作られた。資本主義が発展し劣悪な社会、労働環境のなか労働運動を抑えるため労働運動弾圧法と抱合わせて作られた。

ロシアで社会主義革命が起きると、それが自国に広がるのを恐れたヨーロッパではまたたく間に疾病保険法制定の動きが広がり日本にはドイツに39年おくれ大正11年1922年作られた。大正12年9月の関東大震災で昭和2年まで施行が遅れた。当時日本は「富国強兵」政策のもと日清戦争、シベリア出兵で戦闘で死ぬより病死が多く健康な兵士が必須となった。しかしながら徴兵検査の4割が不合格者。長時間労働で劣悪な健康、衛生状態は生産にも支障をきたし労働争議が頻発した、医療保険制度は永い労働者の要求闘争の結果成立を勝ち取ったものである。

保険制度の必要とする動機と理由は労働者国民の健康を守る為のものではなく軍事と産業の国際競争に勝つ為であった。会社側は新たな労資折半の保険料の負担に反対したが国は中小零細企業を除外し大企業だけで全労働者の25%しか対象とならなかった。それもヨーロッパ同様弾圧法「社会運動取締り法」と抱合わせで成立された。国民健康保険法は1938年(昭和13年)に制定されているが加入は任意だった。

昭和5年の昭和恐慌によって農民の窮乏化が進行し健康状態の悪化が進行し戦時体制の強化政策のなかで人的資源の確保、健民、健兵政策の必要性から生まれた。
昭和14年の船員保険法も同じく侵略戦争の拡大が背景にあって設立されたものであった。戦前の医療保険制度はすべて軍国主義の目的を達するための施策であって、社会保障の理念に基づく医療保険制度は敗戦後の新憲法の成立まで待たねばならなかった。

戦後新憲法が公布され社会保障の理念のもと医療保険制度の新たな整備拡充がされ社会保障制度審議会、社会保険審議会などが設置され国民皆保険制度確立への流れが生まれた。その根拠は憲法13条『すべて国民は個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しないかぎり、立法その他の国政上で、最大の尊重を必要とする。』また25条で『すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有するA国はすべての生活部面について社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。』と国の義務として制定されました。これが根拠となり1961年(昭和36年)に国民皆保険制度として確立されました。
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